高徳寺の開基 大覚寺 釜山海の由来 地図
     
  高徳寺の開基
    本願寺の朝鮮開教は天正13年(1585)をそのもの始めとする。織田信長の近従の奥村掃部介(かもんのすけ)と称する武士があった。
  信長の死後、本願寺教如上人に帰依し、法名を浄信は支那布教の雄図を懐き上人に請うて許しを得、天正13年2月まず釜山に渡航し釜山海高徳寺を創立した。釜山に一宇を建立したのが文禄元年(1592)であった。文禄の役に遭ってまず釜山をひきあげた。浄信は慶長3年(1598)夏再び渡航したものの同年12月には帰国している。浄信は、慶長6年(1601)以降唐津初代城主寺沢志摩守に請われて唐津に定住するのである。
 
   
大覚寺  
    竜頭山のすぐ下、国際市場の入り口にある寺である。戦前は本願寺の別院で、明治10年に創建された当時の朝鮮ではもっとも古い日本寺院であった。初代の僧侶、奥村圓信は九州唐津の釜山海高徳寺の出身である。ここは文禄・慶長の役の直前に当時の富山浦で日本の仏教を布教した寺で、文禄のときには秀吉の命で戦没者供養のために釜山に高徳寺という寺を建てたところとして知られている。本願寺を起こした後、明治13年に仁川、元山の本願寺別院を作り、さらに明治32年には千島の色丹島に転じている。
 
  寺には日本式の灯籠と梵鐘などが残されている。梵鐘の裏には明治23年(1890)作ったものを大正9年(1920) に改鋳したと書かれている。施主は福田増兵衛で対馬生まれ。明治4年(1971)には本拠地を釜山に移した。また釜山の様々な会社の創立、発起人、重役などを歴任している。本堂前に置かれている日本式の灯籠は戦前の本の中にも現れている。
 
             
  梵鐘   銘板   灯籠(日本時代のもの)  
梵  鐘 銘  板 灯籠(日本時代のもの)
   

釜山海の由来

 
    佐賀県、唐津駅のそばにある寺である。普通「○○山」になるはずだが、ここは「釜山海」という珍しい名前になっている。韓国と縁があり、豊臣秀吉から授かった山号である。

  1585年に浄土真宗の浄信が釜山に布教に行った。当時は釜山などの3カ所に日本人の居住地域ががった。そこを拠点に朝鮮に浄土真宗を布教しようとしたようだ。1592年に秀吉より釜山海高徳寺という名前を許されたが、同年の文禄慶長の役の勃発によって日本に引き揚げた。その後何度か寺の位置を変え、現在の唐津に落ち着いたとのことである。

『資料提供:ホームページ「だるまさんが転んだ」より』
釜山海  
   
地図  
 
地図
地図 高徳寺
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